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当今では日本髪はほとんど影をひそめてしまったと言っていい。
科学論がぞくする論理学――先験論理学――を、吾々にとって最も意味あるように特色づける他の概念は、認識論であるであろう。認識とか認識論とかいう言葉の意味は様々であるが、今は科学的(学問的)認識の理論を之によって理解しておこう*。今は科学的(学問的)認識の分析が、科学論――方法論――の中心的な形態となるであろうと云うのである。学問概念に就いての吾々の分析はそれ故、もはや単に方法対象の構造の分析でもなく、又更に学問性の分析でもなく、又更に学問の分類の問題でもなくして、正に認識の(即ち又知識の)、そして又科学的(学問的)認識の、分析でなければならない。「学問の分類」の最初に挙げた、学問概念の分析の第三の道が之であった。科学論は最後に認識論としてその性格を現わす。科学論は方法論となり論理学となったが最後に認識論として性格づけられる。
(奥さんは、今、旦那さまとお書斎でお話をしてをりましてね、)
この困難は併しながら、リッケルト科学論の理論的整合から見て、必ずしも致命的ではないであろう。なる程自然科学――それは普遍的法則を求める――は決して個々のものを排除しはしないであろう。併しそうであるからと云って、自然科学の法則が個別的なものを記述することにはならない。個々のものは成る程一般的なるものとしてではなく正に個々のものとして、法則の規制を受けるのではある、併しそれであるからと云って、個々のものの有つであろう個性が、個性として、法則の支配を受けるということにはならない。相異るもの――個々のもの――が必ずしも個別的なものではなかったことを人々は思い起こすべきである。個別的という概念によって理解されるべきものは実は常に、個性を有ったものでなければならなかった。処が個々のものは差異性をこそ持て、それだけではまだ個性を有ちはしない。問題は個性の有無であった。そしてリッケルトは、その概念規定がやや不適当であったとしても、とにかく量的個別性と質的個別性とを区別することによって、この区別を与えていたであろう。それ故例えば精神物理学が個別的なそして而も質的なものを取り扱うからと云っても、個別や質がこの場合個性的なものを意味しないからには、この科学が依然として自然科学にぞくすることを妨げはしないのである*。真に個別的なるもの――個性――は一定の価値に関係せしめられて初めて理解されるべきであった。かかる価値は自然科学の対象の規定に少しも与かる理由を見出さない。個別化はそれ故矢張り歴史科学にのみ特有であるのである。それであるから、自然科学は、その法則は、個別的なものを取り扱わない、というリッケルトの言葉は、一応誤ってはいないであろう。――ただ批難されなければならぬものと見えるのは、この言葉によって事実上暴露されている処の、自然科学的法則概念の理解の不充分さである。元来自然科学的概念構成の限界を決定することによって歴史科学の概念構成の特色を説明しようとするのが、科学論の理論上の手続きであったのであるから、この自然科学的概念構成の特徴として掲げられた法則概念がすでに不充分であることは、必然に自然科学的並びに歴史科学的概念構成の理論を薄弱にしないではおかない筈である。特に今は自然科学に就いて――歴史科学に就いては後を見よ――この弱点が恰も指摘されたのであった。
早見は、しかたがなしに、なんべんもうなづく。そして、看護婦と顔を見合せて、ニタリとする。兄の雅重は、苦りきつて、腰を左右に動かす。
(この篇に用いた間接の資料の多くのものは、R.Flint-PhilosophyasScientiaScientiarumandaHistoryofClassificationofSciences-1904から借りた。人々は之を参照すべきである。)
一般論理学乃至形式論理学を以て最も当然な且つ著しい代表者とする処の論理学は、普通、思考の形式の学問として理解されている。というのは、吾々が断片的な思考に於て、表象的に概念し、判断し、推論する場合から始めて、体系的なる思考に於ける今の夫々の場合に至るまで、凡そ思考が正しくあろうためには是非ともそれに従わなければならない規則をそれは取り扱う。そしてこのような規則は、その規則に従うべきそして場合場合によって異なる処の内容が如何あろうとも、夫によって影響されないような、独立な普遍的な関係でなければならないから、この規則には形式の名こそ適わしい。故に論理学は一般に思考の形式の学問と定義されるのである。思考形式の学問としての論理学は、思考がそうある通り、吾々の理論的労作の一切の場合に就いて欠くことが出来ない。故に一般に論理学は形式論理学によって代表されると考えられるのである(形式論理学は単に或る形式を取り扱うからして形式的であるのではなくして、正に思考の形式を取り扱うからして初めて形式的と呼ばれるのである、ということを注目しておこう)。
私達子供の時分は、床屋のへつか――何故へつかと呼ばれたか知らないが――の上げる定九郎凧、開いた傘を背中に背負つて縞の財布を鷲づかみにした人形型の大凧を見て、大入道凧を貼つてあげて見た。西ノ内十枚の大きさはあつたらうか。角凧と違つて縱に長い人形だからひきは弱いが、空中に浮んだなりが、地藏樣のやうだといふので村中の評判の惡いこと夥しい。
*もし客観的精神を単にirrealeSinngebilde-Bedeutungfrsichとしてばかり見る代りに、寧ろより正当に、感性的実在に於て表現され之によって帯びられている限りの精神として理解するならば、リッケルトの主張と衝突することなくして而も歴史科学を精神科学と呼ぶ正当な理由があるであろう。例えばディルタイの場合。
「穢い所よ、」
例へば、肉体各部の機能と精神のさまざまなはたらきとを明確に結びつける精神生理学なるものは成り立たないか?そして、からだのある部分の発育、乃至老衰の徴候から、その人間の知能や道義心の程度を推しはかることができたとしたら、これはなかなか画期的な発見にちがひない。
科学論の動機に就いて今まで与えられた分析の結果は次の二つである。第一、学問の分類の概念から科学論――方法論――概念への推移。第二、科学論はその理論の論理的秩序に於ては、論理学・認識論として意識されるということ。前者は必ずしも其と意識されてはいない処の、従って理論の秩序に於て必ずしも論理的前提ではない処の、動機である。後者は之に反して、理論に於て論理的予想として意識されたる、動機であるであろう(蓋し動機の多くのものは――それが論理的根柢でない限り――論理的構造に於ては意識されないという特徴を有っている。動機と論理的予想とは相蔽う概念ではない)。――科学論は之までの処、一つの動機――科学論は歴史的には学問の分類という課題から動機づけられた――と、一つの論理的予想――認識論――(之も亦一つの動機であるが)とから成立するものとして理解された*。動機の分解を今はさし当り茲に止めておこう。
「あはは……。僕いま、親父の出している変てこな雑誌の編集を手伝っていて、実は音楽どころじゃないんです」と、白崎はまたまずいことを言いだしたが、しかし、あわてて、
歴史的に存在した所謂自由芸術とそして恐らく自由芸術ではない処の芸術との区別がどのような標準によって与えられたかは問題の外として、このような歴史上の事実からは独立に、なお自由芸術と不自由芸術との区別が許されるならば、そうすれば学問は第二に、一つの自由芸術と考えられなければならない。
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